長野地方裁判所伊那支部 平成5年(ワ)65号 判決
第一事件原告
甲野正夫
(以下「原告甲野」という。)
第二事件原告
乙山春子
(以下「原告春子」という。)
第二事件原告
乙山一郎
(以下「原告一郎」という。)
第二事件原告
乙山二郎
(以下「原告二郎」という。)
第二事件原告
乙山三郎
(以下「原告三郎」という。)
右五名訴訟代理人弁護士
長谷川洋二
第一事件被告
日動火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
江頭郁生
右訴訟代理人弁護士
高崎尚志
同
川上真足
第二事件被告
三井海上火災保険株式会社
右代表者代表取締役
松方康
右訴訟代理人弁護士
原田策司
同
井野直幸
同
古笛恵子
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求の趣旨
一 第一事件
1 第一事件被告は、原告甲野に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する平成三年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 第二事件
1 第二事件被告は、原告春子に対し金一七〇〇万円、同一郎に対し金五六六万六六六六円、同二郎に対し金五六六万六六六六円、同三郎に対し金五六六万六六六六円及び右各金員に対する平成三年一〇月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行宣言
第二 事案の概要
一 争いのない事実等
1 原告甲野は、平成三年四月ころ、第一事件被告との間で、左記の内容の積立ファミリー交通傷害保険契約を更改した(第一事件関係。争いがない。)。
記
(一) 被保険者 乙山太郎(以下「太郎」という。)
(二) 保険金受取人 原告甲野
(三) 保険金額 死亡の場合は金五〇〇〇万円
2 太郎は、第二事件被告との間で、左記の内容の傷害保険契約を締結した(第二事件関係。争いがない。)。
記
(一) 普通傷害保険
(1) 契約締結日 平成三年五月二八日
(2) 被保険者 太郎
(3) 保険金受取人 指定なし(したがって、死亡の場合、被保険者の法定相続人が受取人となる。)
(4) 保険金額 死亡の場合は金二四〇〇万円
(二) 健康生活積立傷害保険
(1) 契約締結日 平成三年四月二五日
(2) 被保険者 太郎
(3) 保険金受取人 指定なし(したがって、死亡の場合、被保険者の法定相続人が受取人となる。)
(4) 保険金額 死亡の場合は金一〇〇〇万円
3 右1及び2の各保険契約の約款において、次の定めがある(全事件関係。争いがない。)
(一) 保険会社は、被保険者(右1及び2(二)の各契約については、運行中の交通乗用具に搭乗している被保険者)が急激かつ偶然な外来の事故によって被った傷害に対して。保険金を支払う(各約款一条)。
(二) 被保険者の故意、被保険者の自殺行為等によって生じた傷害に対しては、保険金を支払わない(右1の契約についての積立ファミリー交通傷害保険普通保険約款(乙A第一号証)一一条一項(1)(3)、右2(一)の契約についての傷害保険普通保険約款(乙B第一号証)及び同(二)の契約についての健康生活積立傷害保険普通保険約款(乙B第二号証)各三条一項(1)(3))。
4 太郎は、平成三年一〇月二日、福井県三方郡三方町常神三号一七番地先漁港において、自動車を運転中、自動車ごと海中に転落し、同日死亡した(以下「本件事故」という。)(全事件関係。争いがない。)。
5 原告春子は、太郎の妻であり、原告一郎、同二郎、同三郎、は太郎の子であり、太郎の遺産についての法定相続分は、原告春子が二分の一、原告一郎、同二郎、同三郎が各六分の一である(第二事件関係。乙A第四二号証によって認める。)。
6 原告甲野は、平成三年一〇月三一日、第一事件被告に対し、右1の保険契約に基づき保険金五〇〇〇万円の支払を求め(第一事件関係。争いがない。)、原告春子、同一郎、同二郎、同三郎は、同月一〇日、第二事件被告に対し、右2の各保険契約に基づき保険金の支払を求めた(第二事件関係。争いがない。)。
二 本件は、原告甲野が、第一事件被告に対し、前記一1の保険契約に基づき死亡保険金五〇〇〇万円及びこれに対する支払を求めた日の翌日である平成三年一一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め(第一事件)、原告春子、同一郎、同二郎、同三郎が、第二事件被告に対し、前記二2の各保険契約に基づき死亡保険金合計三四〇〇万円のうち各原告が受けるべき権利の割合に基づき計算した金額(原告春子は一七〇〇万円、原告一郎、同二郎、同三郎は各五六六万六六六六円)及び右各金額に対する支払を求めた日の翌日である平成三年一〇月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた(第二事件)事案である。
三 争点は、本件事故が太郎にとって急激かつ偶然な外来の事故であったか否かである(全事件共通)。
1 被告らの主張(第一事件被告の主張と第二事件被告の主張とは、ほぼ同旨である。)
(一) 傷害保険においては、「急激」「偶然」「外来」の三要件に該当する事故を保険事故として、これによる傷害に対し保険金を支払うものであるから、保険金請求者は、まずその主張する事故の右三要件該当性を主張立証する責任がある。
(二) ところが、本件事故には、次の諸点からみて不自然な点が多く、右三要件、特に「偶然」の要件を欠くものであり、むしろ、故意又は自殺行為と推認すべきである。
(1) 本件事故の状況
太郎の運転する自動車は、岸壁からほぼ直角に海中に飛び込んでいるし、また、事故現場にスリップ痕などはなく、ブレーキをかけた様子も見あたらない。
(2) 太郎は、以前からうつ病に罹患し、精神科医の治療を受けており、自殺の危険が常にあった。
(3) 太郎は、原告甲野らに対し多額の債務を負い、そのため、レンタカー会社の経営権も原告甲野に取られ、所有していた水田も失ったが、なおも返済に窮していた。
(4) 太郎は、生前、借金は保険で相殺されると口癖のように言っていた。
(5) 太郎は、本件各傷害保険のほかにも、JA共済との間の養老生命共済、普通傷害共済及び自動車共済の被共済者、日産火災海上保険株式会社との間の積立傷害保険及び団体定期生命保険の被保険者になるなど、多くの保険の被保険者となっており、同人が事故死すれば多額の保険金が支払われる状況にあった。
2 原告らの主張
(一) 太郎は、新車時から一二年も経過した昭和五四年式のトヨタ・クラウンのオートマチック車の調子がおかしいので、その調子をみていたところ、何らかの異常により、同車が急発進し、海中に飛び込んでしまったことから、同車のドアを開け、海中に脱出したものの、泳ぎができないため、溺死したものと推認でき、本件事故は、急激な偶然による外来の原因に起因する事故である。
(二) 被告らの主張(二)に対する反論
(1) 本件事故の状況について
太郎は、平成三年一〇月二日午後九時ころ、自宅に電話を入れ、同人の子の原告三郎に対し「車の調子が悪いので困っている。」と述べ、次いで、宿泊しようとしていた中村旅館の従業員に対し「車の調子を見に行って来る」と言って同旅館を出て本件事故現場に行ったものであり、太郎の運転する自動車が昭和五四年式のオートマチック車であることを考えると、オートマチック車の事故として多発している急発進をして海中に飛び込んだものと考えられる。しかも、同車の運転席ドアが開いている状態で発見されたこと、太郎は同車から離れた場所で溺死しているのを発見されたことからすると、太郎は、同車の運転席ドアを開けて海中に出たものの泳ぐことができなかったため溺死したものと考えられる。
しかも、太郎は、ブレーキを踏んだ状態で海中に飛び込んだ事実がある。
(2) 太郎は、○○神経科病院で処方された薬を飲んでいたにすぎず、医師の治療を受けていたわけではない。
(3) 太郎が本件事故当時負担していた債務は、その経営していた有限会社△△レンタカーの負債を含めても、国民金融公庫に対する借入金残額一二二万〇五〇〇円(ただし、債務者は右会社。毎月の返済額約四万円)、伊那農業協同組合に対する借入金残額四八一万九九七五円(毎月の返済額四万五一九三円)及び友人に対する借入金債務四〇〇万円(返済を求められる状況になかった。)だけであり、現実に返済をしていた借入金債務の総額は約六〇〇万円、毎月の返済額は約八万円であり、多額の債務の返済に苦しんでいた状況ではない。
(4) 太郎が加入していた保険契約は、JA共済(伊那農業協同組合)の養老生命共済及び第二事件被告の本件各傷害保険だけであり、有限会社△△レンタカーを太郎と同視しても日産火災海上保険株式会社の積立傷害保険が加わるだけであり、その支払保険金額も、毎月六万一〇九〇円だけであり、中小企業の経営者がかける保険金額としてはむしろ少ない方であって、自殺を企てたと考えるような不自然さはない。
(5) しかも、次のような事情が存在しており、本件事故は、急激な偶然による外来の原因に起因する事故というべきである。
① 太郎の手帳には、本件事故の翌日以降の予定も記入されており、死を前提にしない記載となっている。
② 太郎が本件事故後中村旅館に残していった旅行バッグには、着替えとしてパンツ一枚、半袖シャツ一枚がそのまま残っており、一泊して自宅に帰る旅行であったと考えられ、また、右バッグ内の財布からは現金九六万円も残っており、自殺をするつもりの旅行であれば、多額の現金を持ちすぎている。
③ 太郎は、遺言を残しておらず、また、本件事故の直前である午後九時ころ自宅の原告三郎にかけた前記電話において、「車の調子が悪いので、工場から工具を自宅に持ってきておいてくれ。明日は帰る。」と連絡しており、自殺をほのめかすようなことを述べておらず、むしろ、自宅に戻ることを前提にしている。
第三 証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりである。
第四 争点に対する判断
一 まず、本件事故直前の太郎の行動及び本件事故の状況について検討する。
1 証拠(甲第一ないし第三、第九号証、乙A第二一、第二二、第二七、第三六、第四〇、第四三、第四五号証、証人中村茂子、同丙川次郎、原告春子、同二郎、同甲野)によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 太郎は、本件事故の一〇年ないし一五年前から年に二、三回ずつ有限会社△△レンタカーの客を連れて福井県三方郡三方町常神所在の中村旅館に泊まりに行っており、同所付近の様子もよく知っていたが、これまで、一人だけで同旅館に泊まりに行ったことはなかった。そして、太郎は、本件事故の約一週間前に、中村旅館に三名で泊まりに行く旨の予約を入れ、その後間もなく、二名については予約を取り消したが、自己の分については予約を取り消さず、初めて一人だけで中村旅館に泊まりに行くことになった。
(二) 太郎は、平成三年一〇月二日正午ころ、、原告甲野と一緒に昼食をとった後、昭和五四年式黒色トヨタ・クラウン(オートマチック車)を運転して中村旅館に一人で向かったが、その途中、同旅館に、自動車の調子が悪いので遅れる旨の電話を入れ、同日午後七時三〇分ころ、当初の予定より遅れて同旅館に到着した。
(三) 太郎は、夕食を食べた後、同日午後九時ころ、自宅の原告二郎に電話をかけて、「今は福井県にいる。雨が降りそうなので、マイクロバスの間に出してあるバッテリーの充電機を自宅に入れておいてくれ。」「明日帰る。」という内容の話をした。そして、太郎は、そのころ、同旅館の従業員に対し、自動車の調子が悪いので駐車場に行って来ると言って外出した。
(四) 太郎は、右自動車に乗車し、中村旅館から東方の駐車場に向かって時速三〇ないし四〇キロメートルで走行し、駐車場又はその南側(海側)に駐車場と一体となっている網上げ場内に入ったが、同所において、直角に近い角度で右折すると、減速することなく直進して自動車ごと海中に飛び込んでいった。
(五) 右駐車場及び網上げ場は、見通しのよい平坦な場所であり、駐車場はアスファルト舗装、網上げ場はコンクリートからなっており、街路灯が点灯されているものの、暗い場所である。そして、本件事故当時、右網上げ場(岸壁)は、海面から約1.1メートルの高さになっており、また、水深は約三メートルであった。
(六) 右自動車は、本件事故を目撃して海中に入っていった丙川次郎によって、本件事故から数十分後に、岸壁から約一〇メートルの地点で前方が沖の方に向かっている状態で発見されたが、その時は、ドアは閉まったままであり、ただし、運転席ドアのガラスは全開していた。その後地上に引き上げられた同車の状態をみると、キーボックスにエンジンキーが差し込まれ、ONの位置の状態にあり、オートマチックギアのシフトレバーはドライブレンジに入っており、また、ライトスイッチはすべてOFFとなっていた。そして、本件事故自体によって同車に生じた損傷は、車底部の擦過痕だけであった。
太郎の遺体は、右自動車の発見された場所から約五〇メートル離れた海中で発見されたが、身体に損傷はなく、死因は溺水死であった。
(七) 太郎は、以前タクシーの運転手の仕事をしたことがあり、有限会社△△レンタカーにおいても、客を乗せて運転するということをしており、運転は上手であった。
(八) 太郎の所持品は、現金九六万円のほかは、下着、手帳等であった。右手帳には、本件事故の翌日以後の予定も記入されていた。
2 右認定の事実に基づいて検討すると、太郎は、中村旅館に到着する前から、運転してきた自動車の調子が悪いと述べており、旅館の従業員に対して、自動車の調子が悪いので駐車場に行って来ると言って外出し、本件事故に至ったこと、右自動車は、本件事故後、運転席ドアのガラスが全開となった状態で発見されており、同車内に太郎はおらず、太郎の遺体は、同車の発見された場所から約五〇メートル離れた海中で発見されたことからすると、太郎は、自動車の調子が悪いため、その様子をみるために同車を運転して駐車場に行ったが、運転を誤って海中に飛び込んでしまい、運転席ドアのガラスを開けて同車から脱出したものの、溺れてしまい死亡したと推認されなくもない。しかも、太郎が本件事故直前に原告二郎にかけた電話の内容も、自殺をほのめかすものではなく、むしろ、翌日帰宅する旨述べていること、太郎の手帳にも、翌日以降の予定が記入されていたことなどの事情も、右推認を補強する事実である。
しかしながら、右各事実の中で特に重要なのは、右自動車の運転席ドアのガラスが全開となっており、太郎の遺体が、同車の発見された場所から約五〇メートル離れた海中で発見されたことであるが、その一方で、右自動車のドアは閉まった状態で発見されており、もし運転ミスによる事故であって事故後同車から脱出しようとしたというなら、なぜ車体が海中に沈み込む前に運転席ドアを開けて脱出しようとしなかったのかという疑問が生じる。また、右に認定したその余の事実も、そのことだけでは、本件事故が運転ミスによるものであることを推認させるとまではいいがたいところである。
そして、太郎は、タクシー運転手をしたこともあって運転は上手であり、本件事故現場付近のこともよく知っていたはずであるのに、本件事故現場の駐車場付近において、直角に近い角度で右折し、その後減速することなく自動車ごと海中に飛び込んで行ったのであって、この事故態様からすると、むしろ、本件事故が太郎の自殺によるとみる方が自然である。これに対し、原告らは、太郎が、ブレーキを踏んだ状態で海中に飛び込んだ事実がある旨主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はなく、むしろ、証人丙川次郎の証言によれば、太郎は右折後海面に向かって多少加速しながら進行した事実が窺われ、また、甲第二号証等にも、本件事故現場付近にスリップ痕等ブレーキを踏んだことを窺わせる事情は記載されておらず、右主張は採用できない。
二 そこで、次に、太郎に自殺をするような事情が存在したかについて検討することとする。
1 証拠(甲第五ないし第八、第一一、第一五、第一六号証、乙A第三号証の二ないし四、第四ないし第一四、第一六ないし第一八、第二三ないし第二六、第三七ないし第三九、第四一、第四二、第四八ないし第五〇、証人丁海吉夫、原告春子、同二郎、同甲野)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 精神病関係
(1) 太郎は、昭和九年一一月一一日生まれであるが、昭和五三年四月二一日、不眠や厭世観等を訴えて○○神経科病院の丁海吉夫医師の診察を受け、内因性うつ病と診断された。そして、太郎は、以後、同医師の診療を受け、同年一〇月から昭和五四年四月までの間は同病院に入院し、その後も平成元年七月二四日まで同病院に通院していたが、病状が良くなったため、その後は、二週間ごとに電話で経過を報告した上で同病院から抗抑うつ剤等の投与を受け、これを服用するということを継続してきた。本件事故の前日である平成三年一〇月一日も、太郎は、同病院に電話をかけて事務の者に通常と特に変わったことのない経過を報告した上、同日夕方に同病院を訪れて抗抑うつ剤、催眠剤等の投与を受けた。
(2) うつ病患者の自殺率が高いことは、一般的に認められており、些細なことから自殺に至ることがある。その場合、自殺は、抑うつの極期ではあまり発生せず、抑うつ状態が少し良くなった状態において発生しやすいといわれている。うつ病患者の自殺の手段は、比較的穏やかな手段が選択されるといわれているが、うつ病圏の患者の自殺未遂の手段として、刃器を使用したものも多く、また、飛び降りや飛び込みの事例も稀ではないことを示す報告例もある。
(二) 本件事故前の太郎の経済状態等について
(1) 太郎は、昭和四八年五月一六日、有限会社△△レンタカーを設立し、以後、代表者としてその経営に当たってきた。
(2) 太郎は、昭和五七年一一月三〇日、自宅の増築に当たり、伊那農業協同組合から一五〇〇万円を借り入れるなどしたことから、負債があったところ、昭和六〇年一二月ころ、スナックを開店してその経営に失敗し、約一年で閉店して負債を増大させ、このようなことから、数千万円の負債を負担するに至った。
(3) 太郎は、原告甲野に対し、債務整理について相談したところ、原告甲野は、太郎に対し、自己の資金を貸し付けるなどしていたが、さらに、昭和六一年四月二五日、太郎の所有する不動産を担保に辰野町農業協同組合から一六〇〇万円を借り入れてこれを太郎に貸し付け、また、昭和六二年八月二〇日ころには、太郎の所有する不動産を担保に伊那信用金庫から二二〇〇万円を借り入れてこれを太郎に貸し付け、太郎は、この金員を右負債の一部の返済に充てた。
(4) そして、太郎は、原告甲野とともに、太郎が父から相続承継した農地等を処分してでも辰野町農業協同組合及び伊那信用金庫からの借入分を精算しようと考えていたところ、平成二年八月一七日ころ、右農地を小阪洋治に売却することができたことから、原告甲野は、その代金で、伊那信用金庫に対する借入金を完済し、また、辰野町農業協同組合に対しても、六〇四万五〇〇〇円を返済し、残元金は九九五万五〇〇〇円になり、この残元金に対応する部分が太郎の原告甲野に対する負債の元金としても残存したことになった。したがって、太郎は、本件事故当時、原告甲野に対し、金利も含めて一〇〇〇万円以上の債務を負担していたものである。また、太郎の伊那農業協同組合に対する前記自宅増築時の借入金の残債務は、本件事故当時、残元金が四八一万九九七五円になっていた。
(5) ところで、太郎の経営していた有限会社△△レンタカーは、経営状態が悪く、平成元年四月三〇日現在の未処理損失が一二〇万七五二四円に達しており、その後も売り上げは減少し、毎年未処理損失が増大していった。そして、同会社の本件事故当時の負債として、国民金融公庫からの借入金残金一二二万五〇〇〇円及び原告甲野からの借入金四〇〇万円等があった。なお、太郎は、平成三年二月二五日同社の代表取締役を辞任し、以後、原告甲野が同社の代表取締役に就任した形式になっている。
(6) 原告春子は、親戚の者から太郎が農地を売却したのは本当かと問われ、太郎にそのことを問いただしたこともあった。
(三) 保険関係
太郎は、本件各保険契約のほかに、伊那農業協同組合の養老生命共済、普通傷害共済及び自動車共済の被共済者となっており、また、日産火災海上保険株式会社の積立傷害保険及び団体定期生命保険等の保険の被保険者にもなっていた。
そして太郎は、生前、原告春子から、太郎が死亡したら原告甲野に対する債務をどうするのか尋ねられた際、原告甲野のために保険に加入しているので、保険金で相殺される旨述べていた。
(四) 家族関係
太郎は、前記丁海医師の診察を受けていたころ、ときどき、原告春子との関係がしっくりいかないと述べることがあったが、原告春子は、平成元年ころから、長野県上伊那郡辰野町にアパートを借りて、太郎と別居するようになり、以後、太郎方と右アパートとを行き来するようになった。そのため、太郎は、二男で美容師の原告二郎と二人で居住していたが、太郎と原告二郎とは、仕事の関係等から接する機会が少なかった。
2 右事実によると、太郎は、以前からうつ病に罹患しており、本件事故当時も抗抑うつ剤等の服用を継続していたという状態にあったものであって、自殺の危険性を有していたということができる。もっとも、太郎の病状は、以前に比べて改善されていたことが認められるが、投薬を継続していることからすると、全快したわけではなく、むしろ、一般に、少し抑うつ状態が良くなった状態において自殺は発生しやすいといわれていることからすると、本件事故当時も、うつ病により些細なことでも動機となって自殺に至る危険性があったことは否定できないところである。
そして、太郎は、負債の整理のために父から相続承継した農地等を処分せざるをえなくなり、そのことで妻である原告春子に問いただされることもあった上、なおも、原告甲野らに対する合計一〇〇〇万円以上の負債を抱えており、原告春子から、太郎が死亡したら原告甲野に対する債務をどうするのか尋ねられた際、原告甲野のために保険に加入しているので、保険金で相殺される旨述べていたこと、原告の設立した有限会社△△レンタカーの経営状態は悪く、未処理損失が拡大するばかりであったことなどの事情からすると、太郎は、本件事故当時、経済的に行き詰まった状態にあったといわざるをえず、しかも、原告甲野に対する負債について、太郎が死亡すると原告甲野に保険金が支払われ、これにより精算するという解決方法も念頭にあったことは否定できないところである。
そして、以上のような、太郎がうつ病に罹患していたこと、太郎が経済的に行き詰まった状態にあったこと、そして、前記認定の希薄な家族関係等の事情を総合考慮すると、太郎には、自殺をするに至っても不自然ではない事情が存在したというべきである。
三 以上で検討したところによると、本件事故については、これを自殺と断定するところまではいかないものの、自殺によるものと疑わせる事情は十分にあるというべきである。そうすると、原告らの主張する諸点を考慮しても、本件事故が太郎の予期しない偶然の事故と認定することはできず、結局、本件事故の原因が太郎の故意によるものか太郎の過失等によるものかいずれとも断定しがたいといわなければならない。
そして、傷害保険契約に基づき、死亡保険金を請求する場合、その事故が本人の予期しない偶然のものであることは、右保険金を請求する側が主張立証すべきであるから、そのことについて認定できない本件においては、原告らの請求は認められないというべきである。
四 よって、原告らの請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官森一岳)